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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2007年 夏 その2

2007/08/03
転学希望 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 市教委に、転学手続きの申し込みに行った。

 転学する予定は来年度だが、体験入学とかその他もろもろのために、現在通う小学校の校長から『夏休み中に市教委に手続きに行く』ことを面談で強く約束?させられていたので、市役所に行くついでに立ち寄った。

 今年度中のことで市教委に他の用事があったのでそちらをすませたあと、別の担当者に引き継がれた。

 で、その方はとてもていねいな応対ですばらしいのだが、都道府県が作っている用紙に書いてある『ことば』が案の定、お役所仕事で杓子定規で…。

 いろいろな事情を許さないような表現なので、わざと勝手に一筆付け加えたりした。


 たとえば、『第1希望の学校』として校名を書かせたり、『転学を希望する理由』と書いてある。なんでもかんでも『希望・希望・希望』のオンパレード。

 自分で書く用紙と、面接して担当者がその場で書く用紙とあったのだが、そのどちらもそんな感じである。

 うちに限らず、『希望とはまた違うんだけど…やむをえず』という人もいるはず。また、もっと傷ついていて追われるように街を出た…とかそういう時だってあるはず。いろいろなパターンもあるんだと都道府県教委に認識させるためにも、『状況が変わらないようならやむを得ず希望』とか勝手に項目に書き足したりした。

 「えっ、どういうことでしょうか?」と担当者が驚いているので、ことの経緯を伝え、「本当は、市教委や校長が全力を挙げてサポートしてくれるのならこのままここに通いたいのですが、それもしないし、『通うのももうダメ』だって言うから手続きをしています。なので、この用紙の形式に合わないところは『合わない』なりに勝手に書かせてください。」

 後から続く人がイヤな思いをしないように、少しは都道府県教委に嫌がらせをすることを決めた(笑)。拒否しているのに勝手に進められている感じで伝えてもらうことにした。本当は『来年度から…』という線については同意しているのだが、なんだか事実と違う形で、「こちらから望んだ」みたいにされるのも頭に来るからだ。

 担当者はなぜか協力的(笑)で、項目の中に、『現状の学校において心配なこと…』と、「今の所はこのことがイヤだ」と書く欄があって、「じゃあ、ここは、この学校に本当は残りたいんだったら、書けないわけですね…。」などとこちらの意を組んでくれる。

 「校長が上ばかり見ていて責任逃れするので嫌い…」とは書けないし、かといって空欄ではこの紙自体出すことができなさそうなので、懸案になっている「安全面の不安」くらいは書いた。

 そうやってできた紙を元に、今後の流れや必要書類について担当者が語り始めた。

 「特別支援学校への転学は 『主治医の診断書』 が添付書類として必要ですがいつ頃ならとれますか?」

 「えー? とれるけど絶対にとりません! だって、こどもの様子を見て『養護判定』を出したり転学を薦めているのは市教委なのに、なんでこっちがそれを進めるための文書を用意するんですか? しかも診断書って5000円とか8000円とかするんですよ。冗談じゃありません。」

 なんでこっちが金を払うわけ?と マジであきれた。

 「『親が提出を拒否している』と伝えてください」と話すと、

 「そうするとこちらからはそのまま診断書抜きでも提出できますが、書類が足らないということで県からそちらに『直接』連絡が入ることになりますがよろしいですか?」と心配そうに言う担当者。

 私は思わず、あまりにもうれしそうな顔で、

 「それは好都合です! 楽しみにして待っています。」と言ってしまった。

 「面倒だなあ」と思う反面、「ようし、もめたるぞー」と張り切っていたりするから、複雑である…。



 ちなみに都道府県教委は、『講師としての私』の雇い主でもありますので一応ご承知置きを(笑)。

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2007/08/04
教師格差 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 尾木直樹という教育評論家がいて、見た目はものすごくうさんくさい(失礼)のだが、「この人けっこういいこと言うなあ」と以前から思っていた。

 なんて言うか、『学校の現状』をすごくわかっている。いい面も悪い面も。

 そして発言の裏付けとなる研究をよくしている。ホームページを見て感心した。どこかの審議会のみなさんが思いつきや思いこみでものを言っているのを考えると、「こういうふうにやるんだよ」と見せてやりたくなった。

 で、この本は『教師格差 -ダメ教師はなぜ増えるのか-』と一見、教師への批判書かと思いきや、そんなことなく、歴史的な経緯をくみ、実に正確な分析をしている。

 教育関係の書を読んで、100%の賛成をするなんてことは『どちらかというと変わった意見を言う人』である私にはありえないことなのだが、今回、この本については、100%賛成。

 なんとか審議会はいらないから、この人を文部科学大臣にして、すべて丸投げしてひとりで解決して欲しいくらいほれました。

 ちなみに『国務大臣はその過半数を国会議員から選ばなければならない』…つまり人数が半分こえなければ民間人でもいいのは有名(竹中経済なんとかも)だが、中3の公民でこれを教えるたびに、「もし総理大臣になったら、俺を文部大臣にしてくれ! まず授業は全国で全部午前授業にするから!」とお願いしていたのだが、もう尾木直樹氏に譲ります(笑)。

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2007/08/08
緊急じゃない手術 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 実は8月のアタマから妻が入院している。

 Sの出産以前から子宮筋腫の大きいのがいくつもあって、それこそ生理は重いし、貧血はひどいし、一度大きな筋腫の一部を掻き出したりしたが付け焼き刃…これじゃあ着床しないでしょうし、妊娠も難しいでしょう……なんて言っていた頃にSは奇跡的に妊娠した。まさに『神の子』である(笑)。

 で、出産とともに子宮筋腫が小さくなる人もいるというのでそのままにしておいたようなのだが、特に変化はなかった。Sは今は8歳に(もうすぐ9歳)になっているのだが、その間、「その後、病院に行ってないだろう」と責めても、面倒くさがって行っていなかった。

 昨年あたり、貧血がひどくなり、やっと病院に行き、「年齢も年齢ですから、もし今後の出産希望がなければ全摘しましょう」ということになったらしい。夏休みでないと手術が難しいので、7月中旬にお願いし、そのために生理を止める注射(1月に1回、なんと2万円)を4月から打っていた。

 ところがこの病院、混んでいるのか適当なのか、なかなかその日が来ない。ベッドが空かないのか、催促しても、「まだいつになるかわかりません。ガンの方だって、待ってもらっているんですから!」とよくわからないようで説得力のある?返事。ガンってほどじゃないし…と引き下がりながらも、「急に『明日から入院です』と言われてもいいからお願いします」と頼んでいたところ、本当に「明日朝10時に入院してください」と前日の午後3時に言われた(笑)。

 手術はその4日後だったのだが、これまた一苦労。というのもうちの家族ならではの苦労。

 まず、Sは病院に長時間はいられないので家でお留守番決定。で、手術には配偶者が立ち会ってないと…ということにやっとなり(そりゃそうだろう、考える以前に)、Sに家で付き添うのは義父か義母のどちらかということに。

 食事のことなどから義母がSと家で待機することが決定。

 で、聞きつけた母方の叔母(おしゃべりなので騒ぎが大きくなりがち)が来ることになり、ちょうど休みの取れた義妹も来てくれることになった。

 いくら義父と私だけでは女手がないからといって、二人もいらないので、どちらかは家でSのお留守番につきあって欲しいと妻から言ったのだが却下。本人の希望が通らないところがこの一族らしい(笑)。

 そして迎えた手術当日。手術前に思ったより叔母がおとなしかったので「ああよかった。さすが慣れているな」と安心したのもつかの間、手術中の家族待合室では、もう大変。

 義父は耳が遠い。そのせいか、叔母と義父と義妹の会話はばかでかい声。他にも『おじいさんの長時間にわたる手術待ち(会話より推測)』の家族が、そう緊迫した面持ちではなく待っていたのだが、そちらに申し訳なくてしょうがない。

 もしかして、「自分たちの緊張感をほぐすためにしゃべりたい」のかもしれないのだが、『あー、うるさい』と言えない私(笑)は、じっとしているうちに寝てしまった(おいおい)。

 手術が長いので、1時間くらいで目覚めた。相変わらず続いている3名様の会話。もう他の家族はいないかのような気で(実際はいる)、朝青龍への悪口や外国への差別的な会話や、他の病院をほめてここをけなしたり、果ては『ゴミ分別』の話題。今そんなことは話題にしなくてもいいのだが、まちがったことを義父が堂々と大声で話すので、時々私も突っ込むはめに…。

 手術の予定は1時間半だったが、それは最短ということで、少し難しいと聞いていたので長めに叔母には伝えておいた。そうしないと長引いた時に心配する時間が長くなるという配慮である。
 
 ところが義父が「普通は1時間半の手術だ」なんて言ってしまったものだから、その後の時間、みなさんはより不安を感じて、よりおしゃべりが続くのであった(笑)。

 2時間15分くらいして、思わぬ方向から「○○さーん」と呼ばれた。手術室の扉から、『バーン』とストレッチャーに乗って出てくると思っていたので意表をつかれながら反対方向に行くと、医者だけがいた。妻や看護師さんがいないのでちょっと「ま、まさか……」とびびったが、そういうことではなかった。

 なんと、いきなり医者に見せられた。何を見せられたかというと、「そんなの聞いてないよ!」と突っ込みたくなるような、『摘出した子宮と筋腫ご一行様』を抱えて立っていたのだ! 子宮全摘なので、筋腫と言うより『でかい肉塊』を持って立っていた。

 いやそれにしても、筋腫そのものがでかいので、子宮もでかいこと……。ちなみに筋腫はソフトボール大のものが4コはあると聞いていたが、その大きさや「まんまるさ」にはびっくり。でも、血まみれだし、かなりグロテスク……。その重さも1800gあったらしい。

 ひとまず、その部屋に勢いで入った4名であったが、叔母は、「かわいそうに…」となぜか臓器を見て泣き出した。いや、今さら同情されてももうずっと10年以上、腹の中にあったのがやっと出たんだし、泣くならこれ見てじゃなくて本人見てだろう…。

 医師は、なんだかすごく充実していたのか、それとも本日3件続けての手術にやけ気味だったのか、勝ち誇ったように説明してくれる。「写真とりますか?」なんて言われて、ちょうどSに説明しようと『妻が病院のベッドに寝ている写真』を撮るために持っていたデジカメを取り出して撮影した。このページにアップ……はしませんのでご安心を。

 それにしても、他の3名様もすごい。最初こそ動揺した叔母も含めて、今度は血まみれ臓器を前におしゃべり。医師が「これは○○で~」と最後まで言い切らないうちに「はー」とか「ほー」とか返事をして、それに関しての何かをしゃべってしまう。『いや、日本語は最後まで聞かないと否定か肯定かわからないし…』という私の思いはよそに、あまりにもリアクションの大きな人たちに気をよくしたのか、医師もしまいには、私ではなく、義妹への目線で語っていた(笑)。

 固い筋腫ばかりでなく、奥の方には柔らかい筋腫もあり、「栄養が行き渡らないこのあたりはこうして柔らかくて悪くなりやすい」なんて医師の説明に対して、動物の身取り(腑分け)経験豊富な元猟師の義父は「イノシシの場合も同じだ」などと逆に解説を始める始末…(苦笑)。

 こうして、妻がまだ出てきていないから安心しきれない中、医師とのことばのキャッチボールが続くのであった。

 すごい人たちであるが、妻もさすがはこの人たちの血縁者……。手術室から出てきて、全身麻酔から覚めての最初のひとことは

 「ねむい……」であった。

 「いや、今、お前寝てたし」という突っ込みは控えておいたが、この麻酔の覚め時は、夢かうつつか…となるらしい。

 すかさず、叔母が、「私はJ(自分の家の高級犬)のおしりに押しつぶされてうなされたのよ!」なんていうから、もうずっこけてしまいそうだった。

 聞いてしまったばかりに、妻も犬のおしりにうなされなければいいが…と思ったが、大丈夫だったらしい。タオルの角をそろえたいのにそろえられずにうなされたらしい……。 

 
 すみませんが、私がもし入院する時は、絶対に叔母には内緒でお願いします!


 ということで、このブログを見てくれている方のうち、実在の私を知っていて夏休み中に私が飲み会を企画するのをお待ちの方…がいらっしゃいましたら、入院生活がまだ2週間は続き、その後自宅でどうなることかまだわからないので、お待ちいただくかおあきらめくださいませ。

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2007/08/13
緊急じゃない手術 その後 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 妻の入院も今日で2週間、「あれ、もうそんなにたつかな?」と思うくらい慣れてきてしまった(笑)のだが、本日抜糸をして、明日もう一度傷口の確認などをして、今週中に退院のめどが立ってきたらしい。

 となりのベッドの人も同じ手術だったらしく、もどってきて一様に言っていたのが、「意識がある分、抜糸が一番こわかった」とのことだった。

 なんでも、糸だけでなく、縫い目の間に『でかいホッチキス針』があって、それを見てしまうともうたまらないそうである……が見てない人にはなんとも言えない。

 思わず、「そのホッチキス針は、コの字型のままであって、さすがに先を曲げて綴じてないよな?」と聞いて、余計恐ろしくなるような想像をしてしまった。

 どっちの状態でもイヤだが、綴じてないそうだ。

 それはさておき、入院中さすがに暇らしく、暇さえあれば寝てしまう妻もさすがに24時間は寝ていないので、どんどん本を読み進めてしまうらしい。持って行く古新聞も珍しく隅々まで読んでいる。

 こんな機会ならいいかも…目の前で読まれないことだし…ということで、以前のブログに『夏季休業の過ごし方』シリーズで書いた2つの作品(A4用紙に印刷して綴じたもの)を「このボツになった原稿も読んでみて」と置いてきた。

 本当に某出版社に郵送したけど、「検討の結果、出版にはいたりませんでした」という手紙付きで戻ってきたものである。

 なんだかんだ言われてもなんだが、以前、仕事で作った文書(学級便りとか行事の企画書など)を見てもらった時期もあったので、思わず言ってしまったこと。

 「赤ペンを入れて、添削すんなよ。」

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2007/08/14
バーベキューで思い出した人たち 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 原型になった『クラス会バーベキュー』をもともとやっていたのは、最初に担任をした学年、担任として初めて出した卒業生…前回の記事の子たちから見ると6コ上の学年の人たちだ。

 そのクラスの会を運営していたのは、なかなかの問題児だったN君としっかり者の女子Fさん。この二人がつきあい始めた中3の頃、双方の親から相談されて、それぞれ向こうが悪いみたいに誤解しているから「あんなすばらしい子を見つけるなんてお目が高い。受験に向けてきっとがんばれるでしょう」と双方をほめまくっておいたのでよりうまくいったのだが(笑)、そんな二人が中心となっていた。

 元3年4組のクラス会は卒業後、4回くらいあったのだろうか…。

 ある年、突然終わった。

 なぜ会が終わったかは予想通り……二人が別れたからだ。

 その二人が一緒に会う場を、他の人がわざわざ作るのもなんなので、そのままになってしまった。

 そのうち、また違うメンバーでその学年のサッカー部(当時顧問)を中心にしたほとんど野郎どもばかりのバーベキューに、隔年くらいでさらわれるようになった。前日くらいにいきなり言われて、当日Nが家まで車で迎えに来て、最後に送ってもらう。ゲスト待遇のようでいて、忙しいとか体調が悪いとか言ってもさらわれるので拉致監禁のようでもあったが、それもここ数年はなくなっていた。だからこの学年は男の動向ばかりよく知っている。

 ちょうどそんなことを話したりもした今年の6コ下の人たちとのバーベキューだったのだが、その次の次の日のことだ。

 H中学校の校区のスーパーで、病院帰りに私が『Sの例のジュース』を12本くらい買い占めているとその前に立ちはだかる女性がいた…「まさかあなたもこれを買いたいの?」と思い、最後の1本を取るのをやめようと手を止めた時に、

 「先生」と声をかけられた。

 先の二人のうちの一人、Fさんである。

 当時のようなかっこいい姉ちゃん…のようでもあり、今にもバーベキューの買い出しが始まりそうな気がしてしまった。カゴいっぱいの食料はすごく主婦っぽい感じ。

 「もしかしてもう母ちゃんか?」と聞くと、2歳児と3か月の二人の子の母になっているらしい。今日は寝ている間に実家の母に預けて買い物中、結婚して夫はマスオさん状態で同居中、ということはH中校区在住、ものすごく覚えにくい珍しい(というか字で書くまで外国の苗字かと思った)苗字に変わった、出産前までうちの校区の保育園で保育士をしていた…など一気に聞いた。

 そういえばもう一人のN君も、今年1月にあった時に、これから結婚なんてことを言っていたなあ…なんて思いながら、不思議な再会をかみしめるのであった。

 こっちの久々の再会はいいけど、この『妻やっと退院、自宅静養中の出かけにくい時期』に、Nたちの「さらわれバーベキュー」がそろそろありそうな危険な予感がするので、携帯電話には慎重に出るようにしよう。つまり、相手によっては出ない……(笑)。

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2007/08/16
暑いはずだ 「障害児と生きる日常(38789)」 [ 最近のことの日記 ]
 クーラーのないわらG家の2階では、室内で熱中症になる可能性だって否定できない。


 なぜないかについては、以前も書いたかもしれないが、義父母の住む1階は風が涼しいのでそう暑いと感じてないこと、2階は欠陥住宅で風が通り抜けないので窓取り付け型のエアコンでもつけようかと思ったが『アンペア数を上げる電気工事が許されそうもないこと』、妻が『私の生まれた街は○○のスイスといわれたエアコンのいらない街』と変な意地を持っていること…などから未だない。

 もちろん地球温暖化の叫ばれる今、クーラーをつけない(つけられない)我が家はすばらしいのだが、こんなところに長居していては……。

 と、今日は暑くなることを見越して、朝からSを連れて市民プールに出かけた。以前は、一人で水遊びに連れて行くことなど、心配性の義父母(というか私を信用していない)に許されなかったのだが、妻の入院中にそれ(一人で連れ出すこと)が当たり前になったのでこういう時に気が楽になった。

 気が楽…といいながらも、彼を一人で面倒見るのはかなり大変である(笑)。

 でも、障害者手帳を保持していることで、割引のみならず、専用の着替え場所を用意してくれたりすることがわかり、ずいぶんと楽になった。数年前来た時は、男子更衣室で、フリチンで脱走していくSを、ハンケツ状態の私が必死で追いかけ、男子更衣室を出る前ギリギリで捕まえる(笑)という一歩まちがうと私が犯罪者?になりかねないこともあった。

 本人も聞き分けが良くなった?面もあるので、何かと楽になった。

 埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市では、40.9度の日本最高気温更新…というニュースは家に帰ってから知るのだが、そんな日だから家にいなくて良かったー!

 しかし、そんな日はプールだって暑い。人はいつもよりたくさんいるし、流れるプールの水もぬるま湯のようだった。そして何よりも日差しが強い!

 家に帰って、鏡に映る自分を見ると、上半身が真っ赤。 ずっと学校プールに行ったSは真っ黒なのに…。

 おなかが出ていたせいで、おなかの上半分は真っ赤、下半分は真っ白であった…。

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2007/08/18
退院 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 「めどがついた」との報告のままにしていました。
 
 ご心配いただいた方々、申し訳ありません。

 もう15日水曜日の午前に妻は退院しています。

 さすがは急に入院が決まった病院、抜糸の翌日に傷口の確認をしたら、「退院は明日か明後日のどちらにしますか?」となったらしい。

 長くいることもないので「じゃあ明日でお願いします」としたそうだが、入院も退院も急なところがすごい。

 家にもどってきても、要安静なので、全然戦力じゃない……のはしょうがないが、とりあえず義父母との通訳がもどってきたので、精神的にすごく楽である(笑)。

 Sにおなかを踏まれたら困るのに、日中からやたら寝る(前からだが)ので、警備が大変だ。

 「Sが来たらよけるから大丈夫、横になっているだけだから」と口では言っているが、100%そのまま無防備に寝てしまう…。 

 寝ないか、カギしめてから寝るかにしてくれ!

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2007/08/27
チェアテニス 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 24・25日と厚木に一人で行ってきた。

 友人が、チェアテニス神奈川オープンに出たのだ。

 車いすでやるテニス…先日、『情熱大陸』なる番組で、今や世界ランキング1位の国枝さんが紹介されて少し知名度が上がったかもしれない。が、たいていの人はまだ、車いすのスポーツと言えば、バスケットボール(漫画の『リアル』もそうだし)なのかもしれない。

 実は友人は初めて出たわけではなく、もう10年を超えるベテラン選手。

 ただ、私が久しぶりに試合を見たというだけで、彼自身はずっとこの世界でがんばってきていた。

 初めて行った当時は、Cクラス(たぶん)だったが、ケガからまだ数年だったので、テニスを始めたこと自体がかっこよかったし、うれしかった。

 そして、今年、ヤツはすでに「メイン」という一番上のランクで戦っていたのだ!

 日本ランキングとか世界ランキングでも順位がつくような位置にいた。日本で20番以内にランキングされた時もあるらしい。

 ただし、世界ランキングの方は、高校時代のテスト順位か?っていうような200番台…すごいのかすごくないのかわからない(笑)。

 ということで、何から書いていいのか、どこまで個人情報を書いていいのか、そして私が誰だか会場の人にも特定されたくない…などまだ少し考えたいので続きは明日以降また。

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2007/08/29
チェアテニス その2 「障害児と生きる日常(38790)」 [ 最近のことの日記 ]
 車いすテニスの基本的なルールは硬式テニスのそれと同じだが、ツーバウンドまでOKというのが特別ルールだ。

 試合の迫力はかなりのもの。私は以前、中学校女子の部で全国大会に出る硬式テニス部と同じグラウンドにいた(笑)ので、結構全国レベルのショットを見たことが過去にある(テニス部見てないでちゃんと野球部の練習見ろよ)のだが、やはりメインクラスになるとそのスピードが出ているし、パワフルタイプの選手のここぞという時のスマッシュはそれ以上の大迫力だ。

 で、さらにすごいのは、車いすの操作。

 相手の動きを読んで、右左と次々とターンをして待つ。よくわからないが、この『向き』がすごく大事なのだと思う。

 遠くに打たれた時に、ギリギリでとろうとして必死で行く時のスピードはものすごい。一流選手が走るのよりは遅いかもしれないが、かなりのスピードに感じた。

 ダブルスの駆け引きも見ていておもしろかった。

 ただし、試合時間は長い。セルフジャッジでやっていると、球を拾いに行く時間もかかるし、フルセットまでもつれれば2時間軽く超えてしまう。テレビ中継とかは夢のまた夢か…と思ったが、女子の部には本格的なビデオカメラが入っていた。

 若い選手同士(中学生と高校生?)のすばらしい試合をやっていたので、たぶんこれから注目の選手なのだと思う。先日放送の国枝選手(世界ランク1位)に続く女子選手というような期待のかかったドキュメントの制作なのかもしれない。

 さて、私の友人Hは、国枝選手が高校時代に2セットストレート勝ちで通り過ぎていってしまった…という男なのでテレビ中継はもちろん入っていない(笑)のだが、私の手持ちのビデオカメラでは、画面サイズからはみ出るくらいの移動距離、さらにテープもバッテリーもなくなる試合時間…ドキュメント制作は無理だったが、期待していた珍プレーはなく、好プレーが多かった。

 10年以上前に初めて見に行った時は、カウントをまちがえてひとりでコートチェンジしたり、サーブの前の得点コールを忘れては「あ、いけね」と何回もやり直したり、技術とまた違うところで笑わせてもらったのだが、今回は『ベテランの味』を感じた。

 私が見に行った大会2日目は、シングルのコンソレ(敗者復活戦)もダブルスも両方勝った。

 夜は、近くに住む後輩家族も来て、一緒に飲むことになった。

 ちなみに選手たちは夜な夜な大宴会をやっているようで、たとえ俺たちが誘わなくても、Hの試合期間中は毎晩宴となるそうだ。

 友人Hいわく、「勝つためには『飲んでも翌日動ける練習』をしておくしかない」そうで、禁酒するようなことは念頭にないらしい(笑)。

 さらにいわく、「飲み会で安心して飲むには、『初日勝って、2日目か3日目で負けるのがベスト』」(笑)だそうだ。ランキングも上がるし、たくさんの仲間と会う機会も楽しめるし…ということらしい。

 うーむ、それが世界に駆け上がった選手との違いだな…とは思ったが、全国から集まった同じスポーツ選手たちの飲みっぷりを見ていると、「確かに…この会も試合と同じくらい大切かも」と納得させられてしまうのであった。

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2007/08/30
チェアテニス その3 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 飲み会で見たチェアテニス選手のみなさん、友人Hもそうだが、『タバコすいまくり』 『酒飲みまくり』 『しゃべりまくり』 『店のお姉さんやおばさんにつっこみまくり』……すごく勢いがある。

 昼の大会中も『会話を楽しんでいるなあ』と感じる。試合を通じて、また新たな知り合いができて『つながっていく』…そういう感じのすてきな世界だ。

 閉鎖的ではないのだが、試合会場ではさすがに選手のみなさんの輪には厚かましい私も入れなかった。うまくいえないのだが、『一人だけまだ自転車を買ってもらっていない少年』…というような感じで、車いすでない自分がちょっと引け目を感じてしまうのであった。

 夜、偶然同じ店に入った他の県の人たちとも少しご一緒したのだが、やはり、吸う・飲む・しゃべる…すごい。もちろん飲み会だから昼とは違ってこちらもとっつきやすい。

 それにしてもよく飲むし、ふと私が友人Hに「みんな、刹那的っていうか破滅的によく飲むねえ…」と言うと、

 「他の病気とかの人もいるけど、車いすテニスの多くの人は事故とかの脊髄損傷で、あとから破滅的になったっていうよりは、そういう破滅的な人だからこうなったってことかな…」と自虐的に言っていた…。申し訳ないけど、少し、「なるほど…」とは思った。

 彼らのすばらしいところは、『ないもの』と『あるもの』…そのことがわかる人たちだということ。失ったものと残ったもの…その悩みや希望や挫折…楽しむ気持ちとあきらめている気持ち…そうした思いがそれぞれの背景にあることを知っている人たちの持つ共通の明るさなのかと思った。

 ケガや病気の前の人生も、その後の人生も人それぞれ…でも今同じ場所で戦ったり仲良くしたり…そんな不思議な縁を持った仲間なんだろうなあ。

 その昔、大学のサークルの大先輩たちの飲み会に参加している時の1年生のような気持ちになった。だってその苦労、俺はしてないひよっこだもん…と。

 さて、友人Hが若者にテニスのアドバイスをしている姿には、夢幻を見るようであった…。 あれ、俺の知ってるHだよなあ…と不安に思ったが、すぐにY談をしている
姿を見て妙に安心した。うん、まちがいなく私の友人のHだ…。

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2007/08/30
チェアテニス その4 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 さて、今、元気にがんばっているテニス中年?Hであるが、15年くらい前にケガをした時のことをやはり書いておきたいと思う。

 Hは大学時代のバンド仲間で、ドラマーだった。最初に一緒だったバンドからの3人で新しいバンドを作り、それが卒業後も私が続けるBUCK BEATにつながった。そこから数えると7年やったことになる。ついでだが卒業後はその二人はカタギの先生(高校教諭)になって故郷に帰っていった。だから4年間のバンド仲間。

 そのHが故郷の高校教師生活の初めての冬、雪道でスリップして対向車線に飛び出した…と聞いた。地方の新聞に事故記事が載ったという情報が先だった。

 無事かどうかを聞く前に「ああ、またか」と思った。実はその最初のバンドでは、ボーカルTが大学4年生の時(本人は2年生のままだったけど)に脳挫傷で死んでいた。Tとのことはそれだけでも長い話なのでここではふれないが、それもあって、「ああ、Hも死んだか…」と勝手に思ったので、「入院中」と聞いて、妙に安心してしまったのだ。

 で、友人Oと先輩まっこい氏とお見舞いに行った。事故からしばらくたっていたと思う。本人たちは久しぶりに会って、旅行気分で宿泊して、翌日Hの病院に行った。

 目の前のHの姿を見て、驚いた。車いすに乗って、その足が驚くほど細かった。そういうことに詳しくない当時の自分でもピンと来た。

 本人から「脊髄損傷って言って、腰のあたりを強く打ったから下半身が動かなくなった。もう歩けないんだよ。」と自然に言われた。

 ちなみに車は対向車線を飛び出して大破。その車を見た妹さんは、「生きてるなんて奇跡だ」と言ったそうだ。

 生きてたことに感謝する気持ちともう歩けない現実と…いきなりつきつけられて困惑した。

 感動しやすく熱いまっこい氏はその場で泣けたが、そのまっこい氏に冷酷と思われている(『北の国から』を見て泣かなかったからだが)私やOは感情を通り越して無反応だった。少ししてトイレで大便をしていたら泣けてきた。

 「生きていたことに感謝しなきゃあ」とたぶんたくさんの人に言われたに違いない。でも目の前には『もう歩けない現実』がずっとあるのだ。友人Hは、楽観的で、いい加減で、人生何とかなると思っているタイプで、結構大ぼけで、本気になると結構やるヤツで、かなりHで…と愛すべきキャラなのだが、そのあいつでも悩んだんだろうなあというのを感じさせた。

 今思えば、まだ通り越してないし、悩みのまっただ中かもしれなかったが、「医者が『失ったものを数えずに、残ったものを数えなさい』って言ったよ。」とか「人によっては、最初の1ヶ月で動かない足を刺して自殺するから注意が必要らしい」とかそんな話をして、「俺はもう大丈夫」というムードを出してくれた。

 リハビリセンターも出て、自宅生活になってから、友人Hが恵まれていたのは、『労災』が完全に認められて、『障害年金』もキッチリ出たこと。当時の「飲酒運転、酒少しなら当たり前」の時代に、酒飲みの彼が、運良く、まったくのしらふで起こした事故だった。飲んでいたら、その手当の多くを棒に振っていたのだ。収入があるということはその後の生活、物心両面で大きかったろうと思う。

 ちなみに、今現在も私の月収より遙かに多いのだから(笑)。

 最初は、おっちゃんたちと健康麻雀ばかりやっていたり、パソコンいじったりしていたが、そのうち知り合いを通じて『テニス』と出会い、テニスを通じて、世界を広げていった…そうだ。ちなみに車いすバスケットにも誘われたが、激しい当たり合いに「とんでもない」と思ったそうな。

 今の彼は、『自信を持って生きているけど、いばるような人生ではないと思っている』ような不思議なスタンスで、なんだかちょっとかっこいい。


 当時、Hのけがのことで、自分の中では『障がい』ってものが、急に身近になった。



 それまで、『障がいを持つ人』と関わる機会はあっても、『ともだち』になる機会はなかった。

 ところが急に『ともだち』が『障がいを持つ人』になったので、するとあまりにもすんなりと受け止められた。大変だったんだろうなあ…でもあいつはあいつ、俺は俺…みたいに、変に同情もしないし、でも大事に思う気持ちもあるし…。

 Sの自閉症という障がいを受け入れる時、あるいは「たぶん、自分の子は障がいを持つだろうなあ」という予感めいたことを感じていたのは、自分の中でそういう準備ができていたからかもしれない。

 わかったような気になって、私が障がいを語れるのも、息子Sと友人Hのおかげである。

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2007/09/02
さよなら夏の日 「バンドマンの語り場(10351)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 日頃、車の中ではCDを聴くことが多いのだが、ちょうどこの数日、FMラジオを聞くことが多かった。一時期、あまり好きな曲がかからないなと思ってラジオから離れていたのだが、久しぶりに聞くと結構いい。

 特に、『季節感』のあった選曲がされているので、やはり、「行く夏を惜しむ」テーマの曲をこの時期聴くと、感傷的になれていい。

 しかし、この2日間のいくつかの放送局で、山下達郎の『さよなら夏の日』は5回くらい聴くことになった…。好きだからいいけど、ちょっとディレクターのみなさん、芸の幅狭すぎ…。

アルチザンの2曲目

 山下達郎自身が、パーソナリティでディレクターでミックスダウン技師である番組…『サンデーソングブック』日曜日午後2時の放送はもともと家で毎週なるべく聞くのだが、さすが本家は違うというか、もっと古い名曲 『潮騒(しおさい)』 をかけていた。


1978年発売のアルバム…もうすぐ30年なのに古いと感じさせない音づくりってすごい。

 今年、海に行ったわけではないけど、何か「うーん」と郷愁の思いを感じさせられた。


 ついでだが、この時期になるとなぜか毎年聞くのは、クリスタルキングの『サマーシェイド』という曲。アフロの方がひとりで歌った曲で、中学生の多感な頃(笑)に、コッキーポップ?とかそういうポプコン関係の歌手が出る番組で歌うのを聴いて、夏休みの終わりをしみじみ感じた印象が強烈すぎて、それから25年以上を経てもちょっと「じーん」と来るのであった。



 あの『大都会』の入っているアルバムの中の1曲。

 ちなみに、あまり知られていないが、アフロじゃない方のボーカルは、下関商業出身である。下関では「下商の方」と言っていたが、全国的には「声の低い方」と言われていたらしい(笑)。


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